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東京地方裁判所 昭和28年(行)67号 判決 1958年5月23日

原告 秋山源蔵

被告 東京国税局長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は

被告が原告に対し原告の昭和二十六年度分所得税につき昭和二十八年六月十一日付でなした審査請求棄却決定は、これを取り消す。

との判決を求める旨申立て、その請求の原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告は王子税務署長に対し、昭和二十六年度分所得税の総所得金額を三〇万一、一〇七円として確定申告をしたところ、同税務署長は昭和二十七年三月三十一日右総所得金額を四九万四、一〇〇円と更正する旨の決定をした。そこで原告は同税務署長に対し再調査の請求をしたが棄却されたので、更に被告に対し審査の請求をしたところ、被告は昭和二十八年六月十一日付決定をもつてこれを棄却し、原告は翌十二日その通知を受けた。

(二)  しかし原告の昭和二十六年度における総所得金額は二八万一、五八一円であるから、これを不当に高額に認定した前記更正処分を是認した被告の右審査決定は違法である。よつて、その取消を求める。

二、被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、原告の請求原因(一)の事実を全部認めた上、本件審査決定が適法であるゆえんを次のとおり主張した。

(一)  原告は昭和二十六年当時菓子の販売、菓子パンの加工及び配給パンの販売を業としていた。原告の同年における収入を分類すると

(1)  菓子パンの加工による収入  五七万〇〇〇〇円

(2)  菓子売上高       一六一万三、三四〇円

(3)  配給パンの手数料収入    九万五、七七七円

となり、(1)の収入に対する東京国税局管内の所得標準率は二五パーセント、(2)の売上高に対するそれは二〇パーセント、(3)の収入に対し原告の支出した必要経費は三万四、七一〇円であるから、(1)の収入に対する所得金額は一四万二、五〇〇円、(2)の売上に対する所得金額は三二万二、六六八円、(3)の収入に対する所得金額は六万一、〇六七円である。従つて原告の所得金額の合計は五二万六、二三五円となるから、原告の同年度の総所得金額を右合計額より内輪の四九万四、一〇〇円と認定してなされた王子税務署長の更正処分も、これを是認した被告の本件審査決定も、共に正当である。

(二)  菓子パンの加工による収入額の認定根拠は次のとおりである。

(1)  原告の仕入帳には昭和二十六年二月十日以後の分のみが記帳されており、右の記帳によると、同年中のイーストの仕入量は一六〇本である。しかし原告は右仕入帳記載分のほかに同年九月十七日、同月二十三日及び十月十三日に各一本宛イーストを仕入れており、又右仕入帳の記帳開始前である同年一月一日から二月九日迄の間に合計二七本のイーストを仕入れたと推定されるから、原告の年間イースト仕入量は合計一九〇本であり、原告はこれを全部菓子パンの加工用に使用したと推定される。

(2)  イースト一本の分量は一二〇匁である。そして小麦粉一貫を菓子パンに加工するには二〇匁のイーストを要するのが一般であるから、原告も同量のイーストを使用したと推定し得る。従つて、原告はイースト一本により小麦粉六貫を菓子パンに加工し得たから、一九〇本のイーストにより年間に小麦粉一、一四〇貫を加工したと推定される。

(3)  当時原告の小麦粉一〇〇匁の加工料収入は五〇円であつた。従つて一、一四〇貫の小麦粉の加工により、原告は年間五七万円の収入を得たものである。

(4)  原告は、菓子パンの加工を開始したのは昭和二十六年二月十日であると主張するが、原告は昭和二十五年十一月頃訴外石田某から菓子パン加工用の釜一式を買入れ、これを同年十二月頃原告方店舖にすえ付け、昭和二十六年一月から操業を開始したものである。

又原告は菓子パンの中にはコツペパンも含まれる旨主張するが、当時原告がコツペパンを製造した事実はなく、同業者の製造したものを取次販売したにすぎず、その収入は前記(一)の(3)の配給パンの販売収入に含まれている。

(三)  菓子売上高の算定の根拠は次のとおりである。

原告の昭和二十六年期首における菓子の在庫高は四万六、六八〇円であり、その期末在庫高は四万二、九五〇円であつたから、平均在庫高は四万四、八一五円となる。そして同年中に原告の販売した菓子の月平均商品回転率は、飴類、かりんとう類及び豆類が五、せんべい類が三、焼物類が二であつたから、これらの平均回転率を三としても、年間回転率は三六となり、右の平均在庫高にこれを乗じた一六一万三、三四〇円が、菓子の年間売上高であると推定し得る。

(四)  原告の主張する菓子パンの加工収入及び仕入原料代、菓子の売上高及び仕入高は、いずれもその証拠とする帳簿に記帳洩れがあるので、これを否認する。

三、原告訴訟代理人は被告の右の主張に対して次のとおり陳述した。

(一)、被告の(一)の主張事実中、原告の営業内容並びに(3)の配給パンの手数料収入額、必要経費額及び所得額は認めるが、その他の事実は否認する。

(二)、(二)の主張事実中、仕入帳の記載内容、イースト一本の分量及び普通の菓子パンの加工料は被告主張のとおりであるが、その余の被告主張事実は否認する。原告は菓子パンの加工を昭和二十六年二月十日から始めた。又そのため業務に慣れないので、イースト消費量は菓子パンにつき三〇匁、コツペパンにつき二五匁であつた。そして原告は菓子パンのほかコツペパンの加工をも行い、小麦粉一〇〇匁をコツペパンに加工する場合の加工賃は一〇円であつた。

(三)、原告が昭和二十五年十一月頃石田某から釜一式を買入れたとの被告主張事実は認めるが、これを原告方に運搬する際破損し、昭和二十六年一月末頃にその修理を終えたものである。

(四)、(三)の主張事実中、菓子の期首及び期末の在庫高は認めるが、その余の事実は否認する。

(五)、原告の菓子パンの製造加工による実収入額は五三万五、七四九円(但し配給パンにつけたクリーム類の売上も含む)、その原料代は四六万五、五四六円、差引粗利益は七万〇、二〇三円である。又菓子の売上高は一二七万〇、八四五円、仕入高は一〇三万三、二四一円、差引粗利益は二三万七、六〇四円である。

四、(証拠省略)

理由

王子税務署長が昭和二十七年三月三十一日原告に対し原告の昭和二十六年度分所得税の総所得金額を四九万四、一〇〇円とする旨の更正処分をした事実、原告がこれを不服として同税務署長に再調査の請求をしたが棄却された事実及び原告が更に被告に審査の請求をしたのに対し被告が昭和二十八年六月十一日付決定をもつてこれを棄却し、その通知が翌十二日原告に到達した事実は、いずれも当事者間に争いがない。そこで被告の右の審査の決定の当否について判断する。

原告が昭和二十六年中において菓子の販売、菓子パンの加工及び配給パンの販売を業としていた事実及び原告の同年中における配給パンの販売手数料収入による所得金額が六万一、〇六七円である事実は当事者間に争いがない。

菓子パンの加工につき、被告は原告が昭和二十六年一月一日以後右の業務を営んでいた旨主張するのに対し、原告は同年二月十日から操業した旨主張するので、先ずこの点について判断する。原告が昭和二十五年十一月頃訴外石田某からパン焼釜を買入れた事実は当事者間に争いがなく、証人大島渉の証言(第一回)及び原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告方では営業用としてはイーストを仕込んだパン生地を培養するための燃料としてのみガスを使用していた事実が認められ、成立に争いのない乙第三号証の四(ガス使用量及び料金額の証明書)の記載によれば、原告方のガス使用量は毎月一回検針を受けているところ、昭和二十五年一月二十一日の検針時における前検針時以後の使用量が一三六立方メートル、同年十二月十三日の検針時における使用量が七三立方メートルであるのに対し、昭和二六年一月十八日の検針時における使用量は二二四立方メートル、同年二月十四日の検針時における使用量も二一四立方メートルに及んでいる事実を認めることができ、又証人渡辺勇の証言により成立を認める乙第五号証の一、二の各記載によれば、原告は訴外サクラ食品工業有限会社から昭和二十五年十一月一日以後あんずジヤムを買入れるようになり、同月中に九罐(一罐二、九〇〇円)、同年十二月中に八罐、昭和二十六年一月中に八罐、同年二月中に一一罐を買入れた事実を認め得るので、これらの事実によれば、原告は遅くとも昭和二十五年十二月末頃には菓子パンの製造加工の操業を開始したことが明らかである。原告本人尋問の結果(第一、二回)中、右のパン焼釜は原告方に運搬した際破損したので修理に出し、昭和二十六年二月上旬頃ようやく修理ができた旨の供述部分は、右認定事実に比するときはたやすくこれを措信し難く、同じく同年一月からガスの使用量が急増したのはガス配管のガス洩れのためであり、同年六月からガスの使用量が減つたのは同年五月にガス洩れを防ぐ配管修理をしたためである旨の供述部分も、同じく原告の家族はガス配管施設のある同一建物内に起居していた旨の供述部分並びに成立に争いのない甲第一号証の一(領収証)、前記乙第三号証の四及び証人渡辺勇の証言により成立を認める乙第六号証(聴取書)の各記載によつて認め得る事実、すなわち原告方では同年四月五日ガス口の位置変更及びガス口増設の工事を行い、更に同年五月十九日頃ガス口径の太いものに取替える工事を行つたものであり、ガス洩れの修理工事は行つておらず、又同年六月の検針時には前月の検針時よりガス使用量が八五立方メートル減少しているが、前年五月の検針時にも前月の検針時より六八立方メートル減少しており、昭和二十七年六月の検針時にも前月の検針時より四〇立方メートル減少していて、毎年ほぼ同じ頃にガス使用量が急減している事実に照し、にわかに措信し難い。又証人井口十一郎は昭和二十六年二月頃原告方を訪れた際パン釜の修理が漸くできたと聞かされた旨証言するが、原告本人尋問の結果(第二回)によれば原告は前記のパン焼釜の破損修理後更に石綿を詰め替える等の小修理をした事実を認め得るので、右の証言は必らずしも前記認定と矛盾するものではなく、成立に争いのない甲第二号証(ノートブツク)には昭和二十六年二月十日以後の売上及び同月七日以後の仕入の記載があるが、この事実も前記認定を覆えすに足りるものではない。他に前記認定を左右するに足りる証拠は存しない。

前記原告本人尋問の結果によれば、原告は前記甲第二号証を忠実に記帳したものであり、特に売上の記帳は菓子パンの加工賃収入額のみを他の売上金とは別個の銭箱に収納してその毎日の集計を記帳したというのであつてて、昭和二十六年二月十日以後の売上(加工賃収入)の記帳については右の供述を措信することができ、他に右の記帳内容に疑をさしはさむに足りる事実は顕れていない。右甲第二号証の記載によれば、同年二月十日以後の菓子パン加工賃収入の合計額は五三万五、七四九円である事実を認めることができる。しかし同年中二月九日以前の菓子パンの加工賃収入の実額を認めるべき証拠は何ら存しないから、これを推計するほかない。

前記乙第三号証の四の記載によれば、原告の昭和二十六年一月から五月迄のガス使用量は毎月ほぼ同量であり、同年三月十六日の検針時から五月十八日の検針時迄のガス使用量は四五七立方メートルであり、昭和二十五年三月十七日から五月十九日迄のガス使用量は一八六立方メートルであるから、その差額二七一立方メートルがパン焼用燃料として右昭和二十六年三月十六日から同年五月十八日迄の期間中に使用されたと推定し得る。又甲第二号証の記載によれば、右同期間中に原告は四二本のイーストを購入した事実を認めることができ、右同数のイーストを使用したと推定し得るから、同期間中のイースト一本当りガス消費量は六・四立方メートルとなる。前記乙第三号証の四の記載によれば昭和二十五年十二月十三日の検針時から昭和二十六年一月十八日の検針時迄のガス消費量は二二四立方メートル、以後同年二月十四日の検針時迄の消費量は二一四立方メートルであるから、同年一月一日から同月十八日迄の消費量は日割計算上一一二立方メートルとなり、同日から二月九日迄の消費量は日割計算上一七四・三立方メートルとなるから、同年一月一日から二月九日迄の消費量は二八六・三立方メートルとなる。他方乙第三号証の四の記載によれば昭和二十四年十二月十七日の検針時から昭和二十五年一月二十一日の検針時迄のガス消費量は一三六立方メートル、以後同年二月二十一日の検針時迄の消費量は一〇八立方メートルであるから、右同様の計算方法により、同年一月一日以後二月九日迄の消費量は一四七・七立方メートルとなる。従つて昭和二十六年一月一日から二月九日迄のパン焼用燃料としてのガス消費量は一三八・六立方メートルとなるから、これを前記イースト一本当り消費量六・四立方メートルで除した二一が、右同期間中に原告が消費したイーストの本数とみるべきである。

原告の使用したイースト一本の分量が一二〇匁である事実は当事者間に争いがなく、証人渡辺勇の証言により成立を認める乙第四号証(聴取書)の記載に証人大島渉の証言(第一回)及び原告本人尋問の結果(第一回)の一部を総合すれば、良い菓子パンを作るために業界では通常一年間平均して小麦粉一貫につきイースト二〇匁を使用しているところ、原告は昭和二十五年十一月頃他の業者に約一〇日間パンの製法を習い、昭和二十六年三月頃以後パン職人を雇傭し、一本六八円の良質なイーストを使用して冬期は小麦粉一貫につきイースト二五匁を使用していた事実を認めることができ、原告本人尋問(第一、二回)の結果中右認定に反する供述部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。次に成立に争いのない乙第七号証(聴取書)の記載及び証人大島渉の証言(第一回)によれば、原告方の近辺の同業者は昭和二十六年中は各種菓子パンの加工賃を小麦粉一〇〇匁につき五〇円と定めており、原告も右同額の加工賃収入を得ていた旨を東京国税局協議団本部協議官に申告した事実を認めることができ、原告本人尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する供述部分は措信し難く、他に右の認定を左右するに足りる証拠は存しない。従つて原告は昭和二十六年一月一日から二月九日迄の間はイースト一本(一二〇匁)あたり小麦粉四貫八〇〇匁の割合をもつて、イースト二一本により小麦粉一〇〇貫八〇〇匁を加工し、その加工賃として合計五万〇、四〇〇円の収入を得たものと推定し得る。原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば原告は菓子パンのほかにコツペパンも加工し、その加工賃は小麦粉一〇〇匁につき一〇円であつたというのであるが、証人大島渉の証言(第二回)によれば原告はコツペパン製造の設備を持つていなかつた事実を認めることができ、又前記乙第四号証の記載によれば、原告は昭和二十六年中食糧営団のコツペパンの委託配給所として、最も多い三月には四万二、六三〇食(一月平均一、三七五食)、最も少ない十二月でも一万七、二〇五食(一日平均五五五食)を委託販売していた事実を認め得るから右の供述部分は措信し難い。従つて原告は昭和二十六年中に合計五八万六、一四九円の菓子パン加工賃収入を得たものというべきである。

原告は前記甲第二号証の売上の記帳は菓子パンの加工賃収入のほかにコツペパン等につけて売るジヤム等の売上も含まれると主張するが、その誤りであることは前記認定のとおりであり、かえつて前記乙第五号証の二及び甲第二号証の記載に原告本人尋問の結果(第二回)を総合すると、原告は昭和二十六年中にジヤム二六万六、八五〇円、蜂密類二万三、六〇〇円、干ぶどう一万四、五五〇円、あん四万六、六三〇円、バター二万一、五〇〇円、ココア六、一八〇円、チヨコレート五、三五〇円等を購入し、これらの原料を菓子パンの中味として加工したほか、コツペパン等につけてパン代とは別に料金をとり、又はそのまま直接販売し、これらの売上を甲第二号証とは別個に記帳していた菓子類の売上帳に記帳した事実を認め得る。もつとも原告はジヤムについてのみ右別途記帳の事実を供述するが、ジヤムの売上をクリームその他の売上と区別して記帳することはあり得ない(特に、原告は菓子パンの加工賃収入と菓子類の売上とを区別して別個の銭箱に収納していた事実は前記認定のとおりである)から、クリームその他の売上も菓子類の売上帳に記帳したものと認められる。

そこで次に菓子及び右ジヤム類の売上高について判断する。原告は菓子類販売の収支の実額を主張し、原告本人(第一回)も右の収支はその主張金額のとおりである旨供述するが、他にこれを裏付ける資料となすべき証拠が存しない(第二回原告本人尋問の結果によれば、原告は菓子の売上帳を紛失した)ので、右の供述はにわかに措信し難く、他に原告主張の収支金額を認めるに足りる証拠は存しない。そこで菓子の売上高はこれを推定するほかないところ、原告の昭和二十六年における菓子の期首在庫高が四万六、六八〇円、期末在庫高が四万二、九五〇円である事実は当事者間に争いがないから、年間平均在庫高は右両者の平均値である四万四、八一五円であるとみることができる。そして証人大島渉(第一、二回)の証言によれば、昭和二十六年中の東京国税局管内における菓子販売業者の標準商品回転数は年間四五・五であり、原告の同年中の菓子の回転数は月間飴類、かりんとう類及び豆類は五、せんべい類が三、焼物類が二であり、特にかりんとう類は一回に七、〇〇〇円位宛仕入れていた事実を認めることができ、原告本人尋問の結果(第一回)によつても甘納豆とかりんとうがよく売れた事実を認め得るから、一応右回転の異る各種の菓子の在庫高が平均していたとしても、月間の菓子類の全平均回転数は三・三、年間の回転数は三九・六となり、年間三九回転として年間売上高は一七四万七、七八五円と推定し得る。なお右期首、期末在庫高中には原告本人尋問の結果(第二回)によれば、前述のジヤムの在庫高も含まれているが、前述のクリームその他は含まれていないことを推認することができるところ、前記乙第五号証の二の記載によれば原告は昭和二十六年中にあんずジヤムを平均一回二罐強(一罐の仕入価格は二、六〇〇円ないし二、九〇〇円)宛合計九九罐仕入れている事実を認定し得るから、ジヤムの年間回転数は平均在庫量が二罐としても四九・五となり、ジヤムの相当量が菓子パン加工用に使用された反面、前記クリーム等の相当量がコツペパンにつけて売られ、これら「つけ売り」の収入は原告の記帳上菓子類の売上中に含まれていることは前記説示のとおりであるから、右「つけ売り」の収入をジヤムの在庫高及び前記菓子の回転数に基いて推算しても原告の不利益にはならないと認められる。

従つて原告の昭和二十六年中における菓子パンの売上高は五八万六、一四九円、菓子の売上及びジヤム等の「つけ売り」の収入の合計は一七四万七、七八五円と認め得るが、それぞれの仕入高については、前記説示のとおりいずれもこれを確認し得べき資料が存しないから、各所得の算出上被告の主張する所得標準率を用いるほか方法がないところ、成立に争いのない乙第三号証の三(証明書)の記載によれば同年中原告の家族数は原告を含めて六名であつた事実を認めることができ、又原告本人尋問(第一回)の結果によれば原告は同年中借金をしたことがない事実を認めることができ、更に原告が同年三月頃から職人一名を雇つていた事実は前記認定のとおりであり、これらの事実及びその他前述の諸般の事実を総合するときは原告の当時の経営状態は他の同業者の標準に近いものであつたと認めることができ、原本の存在及び成立につき争いのない乙第八号証の一(調書写)、二(昭和二十六年分商工庶業所得標準率表写)の各記載及び証人大島渉(第二回)の証言によれば、昭和二十六年中における東京国税局管内の菓子販売業者の減価償却費を控除した後の収入一〇〇円当り所得金額は生菓子、干菓子及び飴菓子を通じいずれも平均二〇円であり、パン加工業者の減価償却費控除後の収入一〇〇円当り所得金額はパンの製造による収入については平均二五円、パン加工賃収入については平均五〇円である事実を認め得るから、原告の菓子パン加工収入の所得率は右のパン製造による収入の所得率と同等とみなし、又前記ジヤム等の「つけ売り」の所得率は右パン加工賃収入の所得率と同等とみ得るが、特に右菓子販売の所得率と同等とみなしても、原告の同年中の菓子パン加工による所得金額は五八万六、一四九円の二五パーセント即ち一四万六、五三七円、菓子販売及び「つけ売り」収入に対する所得金額は一七四万七、七八五円の二〇パーセント即ち三四万九、五五七円とみることができる。右の推定を覆えすに足りる資料は他に存しない。

従つて原告の昭和二十六年中における所得税の総所得金額は前記配給パンの手数料収入による所得金額六万一、〇六七円と右各所得金額との合計五五万七、一六一円と認めるのを相当とするから、王子税務署長が原告の総所得金額を四九万四、一〇〇円と更正した処分も被告が原告の審査請求を棄却した本件決定も共に違法とは認められない。

よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用は敗訴当事者である原告の負担すべきものとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 大和勇美 秋吉稔弘)

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